障害に萌えるのは容易いが、障害を笑うのは難しい『かたわ少女』
ふつふつと話題の『かたわ少女』が、どうやら本当に名作の予感です。
ヒロインたちはそれぞれ、聴覚障害、火傷痕、盲目、義足、短肢の障害を抱えています。全員妹のギャルゲー、全員ナースのエロゲーなどはありますが、こちらは全員障害者。障害をひとつの〈萌え属性〉とし、交友を深めていくゲームなのです。
先日、制作中である『かたわ少女』のベータ動画が、一部公開されました。シナリオを翻訳(超訳)してくれた方がいたので読むことができたのですが、これが素晴らしい。
場面は、短肢の少女Tezuka Rinと主人公Nakai Hisaoがはじめて出会うところ。
……美しい。このゲームは、ユーザーが障害者の少女にどう話しかけられたいのかを熟知している。初っぱなからクラクラしちゃうね。
クレバーなたたみかけです。戯言だけどユーモア。ビンビンきちゃうぜ。
完成したあかつきには、是非とも日本語版も出してほしい。無理なら、テキストだけでも。小説としてでも読みたくなるほど、痺れる導入部でした。
さて、「かたわ少女」と聞くとショッキングなタイトルですが、ハンディキャップを持った少女に萌える文化は、ギャルゲーに古くから存在しています。
病気、ケガ、包帯は、キャラを立たせるにも便利だし、ユーザーに「守ってあげたい」と思わせるにも十分なアイテム。儚い少女性が、いっそう儚く際立ちますからね。
この〈庇護欲〉は、裏を返せば残酷な欲望です。
自分に守らせるため、自分を頼りにさせるために、少女に欠損を強いてしまう……。あるいは逆に、欠けている故に強くならざるを得なかった精神に憧れたがる。あるいは、ただの好奇心。物珍しさとショッキング性に惹かれて。……それらが合わさって、2次元の〈障害属性〉は生まれます。
身体欠如少女の憂鬱〜サイボーグ化できない少女達〜(たまごまごごはん)
では、ギャルゲー以外において、障害属性はどのように扱われているのでしょう。
小説は、いわずもがなですね。文学と欠損は、いろんな意味で切っても切れぬ関係です。ドラマでも、お涙頂戴物語でよくテーマになりますね。漫画でもお涙頂戴か、戦闘の重い代償に。……では、お笑いは?
「お笑いと障害」といえば、去年ちょっと問題になった、とある芸人さんがいました。
障害者をネタにして笑いを取る芸人出現…観客は大爆笑(痛いニュース(ノ∀`))
舞台という場所(主に小劇場)は、TVよりずっとアングラで、昔から差別などをネタにタブーへ踏み込んだ笑いが多くあったのですが、TVでしかお笑いを見ない人にはこれがショッキングな内容だったようです。
低レベルなネタ、センスのなさを批判するのはわかるんですが、「障害者で笑いを取るな」という強い非難には、盲目的な暴力を感じました。「障害者ネタ禁止運動」は、それはそれで〈差別〉です。
『8時だヨ!全員集合』というTV番組が、その昔ありました。ご存知、70年代を代表するドリフターズの看板番組ですね。
その中に、小人プロレスが活躍するコントもありました。レスラーたちは有名番組での仕事に喜び、舞台上で大活躍を見せましたが、やがてその姿はブラウン管から消えます。「かわいそうな人を見せ物にするな!」という、視聴者からの苦情が殺到したからです。そして小人レスラーは活躍の場を奪われ、大きな収入源を断たれた……。
障害を題材にした作品へのヒステリックは、昔から激しく存在しました。それも、健常者からばかり。
タブー視されたものは、次々とフタをされます。目にする機会がなくなるのだから、触れたときの拒絶反応が薄まることもない。あつかったとしても「障害者は優しくて天使のよう」「障害に負けず頑張っている」という、偶像のようなポジティブ面ばかり。それ、実際の障害者と比べて、どーなの?
……そんな中、ある日本映画が東京の片隅で上映されました。ちょうど障害ネタで芸人が叩かれまくってる、2007年の12月です。
障害者を本名のまま出演させ、しかも殺人鬼に仕立てたセンセーショナルな映画。
彼を殺人鬼にしたのは何か。要因はひとつなんかじゃない。些細な、何気ない言葉で1本の糸は弾ける。ともに遊び、介護をしてくれる女子大生は尋ねた。
「住田さんって、普通に生まれたかった?」
主演をつとめた住田雅清さんは語ります。
ストーリーも聞かされてない映画に、若い監督を信じて演じ続けた住田さんの根性には感服するばかりです。それもノーギャラ。「障害者の実像はそんなに美しくない」と、住田さん自身がメッセージを持って挑んでいることも頼もしい。
それにつけても、観た人から次々と賞賛の上がるこの映画が、逆輸入でしか配給されないという日本の情けなさよ。
「障害者で殺人など、けしからん! ……え、海外で評判なの? ……じゃ、じゃぁ上映してあげても、い〜……かなぁ?」
なんという臆病風。海外様の判断がないと、自国の作品も直視できないなんて。かくして表現の幅は狭められ、障害者と健常者の溝は深まるばかりです。
(……といいつつ、アタシはまだこの映画を観れてません。関西での上映が4月からなので。じょじょに、全国各地のシアターで上映されるようです)
――『かたわ少女』は、どのような展開を我々に見せてくれるのでしょう。
感動させるだけなら、数多の恋愛ゲームがやってきました。さらに踏み込んだもの、見たことのない現実、感覚が味わえるのか。萌えてもいい。笑ってもいい。恐れてもいい。すべての感情と現象を、見せてほしい。いや、見せてくれると信じてる。
Netはまだまだアングラな世界です。アングラだけど影響力が強いから、過剰な反応が伝染しやすくもある。
フリーで配布予定の『かたわ少女』が、へんな偽善に封じられず、誰もが楽しめる環境で公開されることを期待しています。
もはやタイトルの時点で日本じゃ発売できなさそうな『Katawa Shoujo』
タイトル通り主要ヒロイン全員が「かたわ」(身体障害/ハンディキャップ持ち)というものすごい設定のギャルゲーです。
海外有志が制作中の同人ギャルゲー『かたわ少女』がすごい(dekunology)
ヒロインたちはそれぞれ、聴覚障害、火傷痕、盲目、義足、短肢の障害を抱えています。全員妹のギャルゲー、全員ナースのエロゲーなどはありますが、こちらは全員障害者。障害をひとつの〈萌え属性〉とし、交友を深めていくゲームなのです。
先日、制作中である『かたわ少女』のベータ動画が、一部公開されました。シナリオを翻訳(超訳)してくれた方がいたので読むことができたのですが、これが素晴らしい。
場面は、短肢の少女Tezuka Rinと主人公Nakai Hisaoがはじめて出会うところ。
「僕? 中井久夫。今日転校してきたんだ」
「私は手塚凜。握手でもしたいところなんだけど、私がどういうふうなのかもうわかったでしょ?」
超訳「片羽少女」(極東ブログ)
……美しい。このゲームは、ユーザーが障害者の少女にどう話しかけられたいのかを熟知している。初っぱなからクラクラしちゃうね。
「腕、ないの?」
「その発言、今日は君が一番乗り。君、けっこうまともな注意力があるね。これで5ポイント・ゲット。それ以前の対応もいいから、あと2ポイント上げる。君の合計得点は7ポイント」
(同上)
クレバーなたたみかけです。戯言だけどユーモア。ビンビンきちゃうぜ。
完成したあかつきには、是非とも日本語版も出してほしい。無理なら、テキストだけでも。小説としてでも読みたくなるほど、痺れる導入部でした。
さて、「かたわ少女」と聞くとショッキングなタイトルですが、ハンディキャップを持った少女に萌える文化は、ギャルゲーに古くから存在しています。
病気、ケガ、包帯は、キャラを立たせるにも便利だし、ユーザーに「守ってあげたい」と思わせるにも十分なアイテム。儚い少女性が、いっそう儚く際立ちますからね。
この〈庇護欲〉は、裏を返せば残酷な欲望です。
自分に守らせるため、自分を頼りにさせるために、少女に欠損を強いてしまう……。あるいは逆に、欠けている故に強くならざるを得なかった精神に憧れたがる。あるいは、ただの好奇心。物珍しさとショッキング性に惹かれて。……それらが合わさって、2次元の〈障害属性〉は生まれます。
身体欠如少女の憂鬱〜サイボーグ化できない少女達〜(たまごまごごはん)
では、ギャルゲー以外において、障害属性はどのように扱われているのでしょう。
小説は、いわずもがなですね。文学と欠損は、いろんな意味で切っても切れぬ関係です。ドラマでも、お涙頂戴物語でよくテーマになりますね。漫画でもお涙頂戴か、戦闘の重い代償に。……では、お笑いは?
「お笑いと障害」といえば、去年ちょっと問題になった、とある芸人さんがいました。
障害者をネタにして笑いを取る芸人出現…観客は大爆笑(痛いニュース(ノ∀`))
舞台という場所(主に小劇場)は、TVよりずっとアングラで、昔から差別などをネタにタブーへ踏み込んだ笑いが多くあったのですが、TVでしかお笑いを見ない人にはこれがショッキングな内容だったようです。
低レベルなネタ、センスのなさを批判するのはわかるんですが、「障害者で笑いを取るな」という強い非難には、盲目的な暴力を感じました。「障害者ネタ禁止運動」は、それはそれで〈差別〉です。
『8時だヨ!全員集合』というTV番組が、その昔ありました。ご存知、70年代を代表するドリフターズの看板番組ですね。
その中に、小人プロレスが活躍するコントもありました。レスラーたちは有名番組での仕事に喜び、舞台上で大活躍を見せましたが、やがてその姿はブラウン管から消えます。「かわいそうな人を見せ物にするな!」という、視聴者からの苦情が殺到したからです。そして小人レスラーは活躍の場を奪われ、大きな収入源を断たれた……。
本書は語る。体に障害のある人たちをテレビに出演させ、一般市民の笑い者としてさらけだすのは可愛そうだ、という怒りの投書が、じつは醜い物を見たくないという健常者の、マジョリティーであるがゆえのエゴにすぎないのだ、ということを。
『君は小人プロレスを見たか』(八方美人な書評ページ)
障害を題材にした作品へのヒステリックは、昔から激しく存在しました。それも、健常者からばかり。
タブー視されたものは、次々とフタをされます。目にする機会がなくなるのだから、触れたときの拒絶反応が薄まることもない。あつかったとしても「障害者は優しくて天使のよう」「障害に負けず頑張っている」という、偶像のようなポジティブ面ばかり。それ、実際の障害者と比べて、どーなの?
……そんな中、ある日本映画が東京の片隅で上映されました。ちょうど障害ネタで芸人が叩かれまくってる、2007年の12月です。
電動車椅子で移動し、ボイスマシーンで会話を交わす。重度の身体障害者である住田は介護者のサポートを受けて一人暮らしをしている。
そんなある日、住田のもとに大学の卒業論文のために介護を経験したいという敦子が現れる。そんな経験は何度もしているはずの住田の中で、自身にも整理しきれない違和が蠢き始め、混沌とし、次第に狂気に身を委ねていく…。
『おそいひと』(音が鳴ります)
『おそいひと』は実際に脳性マヒを持つ重度の障害者・住田雅清が、本名と同じ役で「脳性マヒの連続殺人鬼」という難役に挑んだ作品である。2004年、東京の映画祭でプレミア上映されたが、「障害者に対する偏見や誤解を与える」、「差別を助長する」といった様々な批判が集中した。そして国内での配給が一向に決まらぬまま、作品は黙殺されるように、お蔵入りしたという。しかしそれ以後、同作品が海外の映画祭で話題を集めると、日本にも再び話題が飛び火、言わば逆輸入される形で、ついに国内の一般上映が開始されたのである。
脳性マヒの殺人鬼『おそいひと』主演・住田雅清インタビュー(X51.ORG)
障害者を本名のまま出演させ、しかも殺人鬼に仕立てたセンセーショナルな映画。
彼を殺人鬼にしたのは何か。要因はひとつなんかじゃない。些細な、何気ない言葉で1本の糸は弾ける。ともに遊び、介護をしてくれる女子大生は尋ねた。
「障害者を使った見せ物映画」という批判に対しては、全ての映画は見せ物だと言えばいいだけだ。この映画は見せ物として、きちんと通俗的で優れていた。
「おそいひと」と world's end girlfriend について(猫は数に入れる方向で)
主演をつとめた住田雅清さんは語ります。
「ストーリーについては、今までの障害者が出ている映画はドキュメンタリーも含めて、お涙ちょうだいか頑張る障害者像を描いている映画ばかりで、私はそういう描き方にすごく違和感と反発を感じていました。実際の障害者の実像はそんなに美しくないし、ドロドロしたものだから、連続殺人は極端かもしれませんが、障害者の中にも頑張らない者もいるし、大酒飲みもスケベエもいるし、詐欺師も泥棒もいます。そのことをこの映画は連続殺人という極端な表現で描いていると思います。」
「この映画が世の中に出たら、大問題になるかもしれない。そうなればどうしようと思いました。しかし、これほどのインパクトがある映画ならば、支持する人も多くいるかもしれない。それに前半は障害者と健常者の人間的な関係もちゃんと描けているし、私の演技は別として、優れた映画であり、映画史上に残る映画ではないかなぁと思いました。」
脳性マヒの殺人鬼『おそいひと』主演・住田雅清インタビュー(X51.ORG)
ストーリーも聞かされてない映画に、若い監督を信じて演じ続けた住田さんの根性には感服するばかりです。それもノーギャラ。「障害者の実像はそんなに美しくない」と、住田さん自身がメッセージを持って挑んでいることも頼もしい。
それにつけても、観た人から次々と賞賛の上がるこの映画が、逆輸入でしか配給されないという日本の情けなさよ。
「障害者で殺人など、けしからん! ……え、海外で評判なの? ……じゃ、じゃぁ上映してあげても、い〜……かなぁ?」
なんという臆病風。海外様の判断がないと、自国の作品も直視できないなんて。かくして表現の幅は狭められ、障害者と健常者の溝は深まるばかりです。
(……といいつつ、アタシはまだこの映画を観れてません。関西での上映が4月からなので。じょじょに、全国各地のシアターで上映されるようです)
――『かたわ少女』は、どのような展開を我々に見せてくれるのでしょう。
感動させるだけなら、数多の恋愛ゲームがやってきました。さらに踏み込んだもの、見たことのない現実、感覚が味わえるのか。萌えてもいい。笑ってもいい。恐れてもいい。すべての感情と現象を、見せてほしい。いや、見せてくれると信じてる。
Netはまだまだアングラな世界です。アングラだけど影響力が強いから、過剰な反応が伝染しやすくもある。
フリーで配布予定の『かたわ少女』が、へんな偽善に封じられず、誰もが楽しめる環境で公開されることを期待しています。
『電脳コイル』全DVDジャケット公開記念まつり、開催中!
それにつけても『電脳コイル』の少女たちはかわいいですね。
地味目なキャラデザ・全員メガネ設定でしたが、ショートカット・ツインテール・セミロング・ポニーテール・みつあみ(?)と、しっかり属性わけされてたし。シンプルだからこそ躍動感の溢れる、生き生きしたキャラクターでした。




そしてついに、通常版DVDのジャケットが、全巻公開されましたね! どの絵もウキウキがとまらないぜ!
……しかし、DVDのジャケ絵はネタバレ全開が基本なんでしょうか? ラストの9巻とか、オチどころかエピローグまで……。
本編では見れなかったハラケンの学ラン姿が拝めたし、まーいっか!
ああ、壮観……。(重かったらすみません。並べてみたかったんです)
ちなみに、通常版のジャケが「動」なら、限定版のジャケは「静」。でも、ちゃんと限定版のブックレットに通常版のジャケが使われてるので、やっぱり限定版のがお得。
けど、ストラップも欲しいよなー。メタタグカードも。限定版にも入れてくれよー。
また、3/3にやっと発売される『ロマンアルバム』の表紙も、素晴らしいのなんの。
内容も企画も増ボリュームで、好ご期待すぎる。
DVD最終巻の発売日は5/23。再放送の終了は秋ぐらいかな?
2008年、『電脳コイル』はまだまだ行くよー。
地味目なキャラデザ・全員メガネ設定でしたが、ショートカット・ツインテール・セミロング・ポニーテール・みつあみ(?)と、しっかり属性わけされてたし。シンプルだからこそ躍動感の溢れる、生き生きしたキャラクターでした。




そしてついに、通常版DVDのジャケットが、全巻公開されましたね! どの絵もウキウキがとまらないぜ!
……しかし、DVDのジャケ絵はネタバレ全開が基本なんでしょうか? ラストの9巻とか、オチどころかエピローグまで……。
本編では見れなかったハラケンの学ラン姿が拝めたし、まーいっか!
ああ、壮観……。(重かったらすみません。並べてみたかったんです)
ちなみに、通常版のジャケが「動」なら、限定版のジャケは「静」。でも、ちゃんと限定版のブックレットに通常版のジャケが使われてるので、やっぱり限定版のがお得。
けど、ストラップも欲しいよなー。メタタグカードも。限定版にも入れてくれよー。
また、3/3にやっと発売される『ロマンアルバム』の表紙も、素晴らしいのなんの。
内容も企画も増ボリュームで、好ご期待すぎる。
DVD最終巻の発売日は5/23。再放送の終了は秋ぐらいかな?
2008年、『電脳コイル』はまだまだ行くよー。
少女は悪趣味な楽園で踊らされる、永遠に ―青年漫画の少女像―
先日、立ち読みした「週刊文春」にて、こんな記事を発見しました。
なるほど! 初潮年齢(平均12、13歳)と、結婚できる年齢(16歳)のズレが、存在するのに触れられない〈少女像〉を生んでいたのか!
おまけに16歳で結婚できるのに、18歳未満との性的行為は淫行になってしまうというトラップ付き。この矛盾、神秘の溝に、多くの男性はころげ落ちてしまうのですね。恐ろしや恐ろしや。
あまねくすべての男性は、少女が大好きです。
女性も少女が大好きですが、男性のそれは性欲と罪悪と恐れが混ざっていて、とても複雑怪奇。はちきれんばかりの感情で少女を想い続けています。
その混沌とした恋情を、鏡のように映しだしているのが、今の青年漫画ではないでしょうか。象徴的な作品を、いくつかみてみましょう。
●殴りあう少女たち『CYNTHIA THE MISSION』●
15歳のシンシアは、暗殺一族の後継者です。小さな体で殺人を遂行し、何度も瀕死の目に遭います。殴られ、刺され、砕かれ。この作品に出てくるのは、痛めつけられる少女ばかり。
少女といえば、かよわい生き物。守ってあげなければならない花のような存在です。
その少女が殴り殴られ、刺し刺される漫画が『CYNTHIA THE MISSION』。そういうと残酷に聞こますが、物語のノリは至って痛快です。少女たちの無残な姿を、こわいぐらい快感をともなって読むことができます。なぜなら、彼女たちは強いから。
華奢な体に不釣合いな、戦う能力と殺しの術。自ら戦場へ向かう彼女たちだから、その散りゆく姿に見惚れることができる。
この破壊力は、我々が少女に抱く憧憬の反映かもしれません。現実にはかよわい少女でも、人を魅了する精神的破壊力は強大。我々はいつだって、少女の威力に殴られっぱなしですからね。
そこに暴力があればいい。「シンシア ザ ミッション」(たまごまごごはん)
●犯される少女たち『ブラッドハーレーの馬車』●
少女とエッチはできません。
触れてはならぬ禁断の果実だからこそ、ロリコン漫画は増える一方なのですが。
『ブラッドハーレーの馬車』の少女たちは、貧しい孤児院から、資産家ブラッドハーレー家へ向かう馬車に、養女として乗りこみます。ところが、馬車が辿り着くのは屋敷でなく、暗く高い塀の中……。養女というのは真っ赤な嘘。犯罪者たちの性欲・破壊欲のはけ口にされるため、少女は刑務所に連れて行かれるのです。
「少女を犯したい」欲望を、制度の中でコンスタントに満たすとしたら、どんな状況がある? ……そんな妄想を、最も丁寧に残酷に印したのが、この漫画。その惨たらしさ、残虐の極みったら、さすが沙村広明としかいいようがない。
人間の仕業とは思えない? まるで悪魔?
いえいえ、こんな残酷なこと、人間にしかできませんて。悪魔も仏も、人間の想像力に住む生き物ですから。少女を愛してる? おまえがやりたいのはこういうことだろ?
少女たちの夢と希望は丘の向こうに…「ブラッドハーレーの馬車」(たまごまごごはん)
●殺しあう少女たち『GUNSLINGER GIRL』●
『CYNTHIA THE MISSION』と同じ、戦う少女の物語です。拳でなく、銃を手にして。
といっても、痛快なガンアクション漫画でもありません。少女たちの背負う背景はあまりにも重く、暗い。
国中から集められた障害を持つ少女らに、「義体」という強力な機械の体を与え、「条件付け」と呼ばれる洗脳を施し、政府の為の汚れた仕事を請け負わせる。
彼女らは厳しい組織の中で、淡い恋心を糧に戦い続けます。
この悪趣味っぷりは極上です。
『ブラッドハーレー』のような残虐っぷりなら「このド変態!」と罵ればすみますが、こちらの少女は家族を殺され、暴行され、スナッフ・フィルムの餌食にされた上、その記憶を消す代わりに、義体とパートナーと第2の人生を与えられるのです。
洗脳された頭で「しあわせ」を感じながら、担当官のために銃を構えて。頬を染め、笑顔を見せる彼女らに癒される読者。なんと甘美な悪趣味でしょう!
(『最終兵器彼女』あたりの高橋しんっぽい悪趣味具合です)
見事なストーリー展開で、思わず切なくなったり、感動しちゃったするから、よけいタチが悪い。愛しいけれども憎たらしい作品です。
「ガンスリンガーガール」が「ガンスリンガーガイ」だったら僕はどう受け止めたのだろう。(たまごまごごはん)
●あなたを愛する少女たち『愛人 AI-REN』●
「愛人(あいれん)」……終末期の患者の精神的な救済を目的とした、擬似的な配偶者、恋人のような役割をはたす人造遺伝子人間。
余命わずかと宣告された主人公のイクルは、激しい孤独と絶望と恐怖に苛まれ、市の福祉課に「愛人」の取得を申請します。そうして、イクルは愛人の「あい」と出会い、ふたりの生活がはじまります。滅亡に向かって進む、セックスすら失らわれた世界で。
絶望の淵にいる男子に、ひとりの人工少女が与えられるという物語は『電影少女』『A・Iが止まらない!』でもありましたね(3作とも「あい」がキーワードですね)。
誰にも愛されない自分を愛してくれる、夢のような少女! この出会いは奇跡? 運命? いえいえ、彼女はあなたを愛するよう作られた、機械ですから。
プログラムされた恋愛の中で、愛することの偉大さ、生きることの喜びを見出すのが『愛人 AI-REN』です。絶望的世界だけに、愛の存在は絶大です。
●「少女はあなたを愛さない」●
――以上、少女をテーマにした4つの青年漫画を見渡すと、ある真実が浮き上がってくるのがわかります。
少女はあなたを愛さない。
少女の儚さ、尊さ、偶像性は、あなたを愛さないことから発生しています。「あなた」とは、我々のこと。少女を描き、少女を読む者を指します。
ひとつめの『CYNTHIA THE MISSION』は、まず恋愛要素がほとんど出てきません。
恋愛する暇もなく、重い使命、拳闘の情熱を背負い、少女は生きています。この作品で最も乙女してるのは、高校生ボクサーのカルロスぐらいだしね。
異性に見向きもしてくれないから、我々は殴りあう彼女らを観戦するしかない。抉れる頬を、断たれる腕を、あげる断末魔を、陶然としながら見届けるしかないのです。
ふたつめの『ブラッドハーレーの馬車』は、少女と性交できない現実から生まれた妄想です。
それは法律で禁じられてる上、少女が望んですらいません。あなたとの性交を。
なので見向きもされない我々は、日夜、少女を犯す方法を妄想するのです。ありとあらゆる世界、手段、状況を拵えて。
少女に愛される妄想ならたやすくできますが、そんなものは生ぬるい。ファンタジーも甚だしい。厳密に少女と交わる世界を拵えようとすれば、残酷になるのは必至です。愛されないのだから、憎まれるしかない。しあわせにできないのだから、絶望を与えるしかない。
3つめの『GUNSLINGER GIRL』は、愛されない裏づけが顕著です。少女は余すところなく、「洗脳」されているのですから。
「国中から障害を持つ少女を集め、義体にして殺人をさせる」――フィクションですから、この程度の設定でも描くのに問題はなかったと思います。職務の中で、次第に担当官への恋が芽生える……なぜそうせずに、恋心を「洗脳」に変えたのか。
作者は「少女は簡単に恋が芽生えない」ことを知っていたのでしょう。その真実を避けることができなかった。そして少女は恋もなしに、銃を持たないということも……。
虐待された、かわいそうな少女たち。薬によって植えつけられた、自分への信望。
まっとうな恋愛ができる土壌じゃないこの設定も、読者には逆に甘い蜜となり、適度にハートを刺戟してくれます。まったく、よくできとる!
少女に愛されないことを知った我々は絶望し、また漫画の中の少女へ逃避します。生き生きと躍動する少女を、紙ごしに愛でる。作り物の少女、まるで末期患者に与えられる「愛人」のように……。
少女に好意を持たれることもなく、触れることもできないから、漫画の中の少女は輝きを増し、我々を没頭させるのです。作者も読者も、そのことをよくわかっている。
上記4作は、少女の真理をごまかして描いてないから、名作となっていると、アタシは考えます。
母となる体を持ちながら、純潔を守らされる少女。愛さない少女、愛されないアタシたち。……はぁ、なんという片想いでしょう。
これからも、漫画における少女像は威力を増し、信者を増やし続けることでしょう。
我々は紙ごしに追いかけるしかありませんね。現実で追いかけたら犯罪ですから。
オタク文化に眠る、完璧なる少女偶像にかしずくのだ。(たまごまごごはん)
この手はその少女に触れることが出来ないんだ。〜オタク世界の偶像少女達〜(たまごまごごはん)
……ご覧のとおり、この記事はたまごまごさんの少女論に大きく触発されてます。
ビバ少女崇拝!
『〈少女〉像の誕生』(渡部周子 新泉社 3500円+税)によると、日本における「少女」は、明治期に学校制度が確立し、就学期間が長くなったことによって、生殖可能な身体を持ちつつも、結婚に至らないという期間が長くなったことよって登場したものであった。
その時、少女たちは、
「将来、男性と異性愛関係を築き、妻として献身することが期待されていたのだとしても、結婚までは性的に純潔であらねばならなかった」
ということで、「身体は純潔、しかし精神は異性愛に応えうる」という矛盾をはらんだ教育が、少女には必要となったのである。
―――『私の読書日記』-受動の愛、美育、少女マンガ- 酒井順子(週刊文春)
なるほど! 初潮年齢(平均12、13歳)と、結婚できる年齢(16歳)のズレが、存在するのに触れられない〈少女像〉を生んでいたのか!
おまけに16歳で結婚できるのに、18歳未満との性的行為は淫行になってしまうというトラップ付き。この矛盾、神秘の溝に、多くの男性はころげ落ちてしまうのですね。恐ろしや恐ろしや。
あまねくすべての男性は、少女が大好きです。
女性も少女が大好きですが、男性のそれは性欲と罪悪と恐れが混ざっていて、とても複雑怪奇。はちきれんばかりの感情で少女を想い続けています。
その混沌とした恋情を、鏡のように映しだしているのが、今の青年漫画ではないでしょうか。象徴的な作品を、いくつかみてみましょう。
15歳のシンシアは、暗殺一族の後継者です。小さな体で殺人を遂行し、何度も瀕死の目に遭います。殴られ、刺され、砕かれ。この作品に出てくるのは、痛めつけられる少女ばかり。
少女といえば、かよわい生き物。守ってあげなければならない花のような存在です。
その少女が殴り殴られ、刺し刺される漫画が『CYNTHIA THE MISSION』。そういうと残酷に聞こますが、物語のノリは至って痛快です。少女たちの無残な姿を、こわいぐらい快感をともなって読むことができます。なぜなら、彼女たちは強いから。
華奢な体に不釣合いな、戦う能力と殺しの術。自ら戦場へ向かう彼女たちだから、その散りゆく姿に見惚れることができる。
この破壊力は、我々が少女に抱く憧憬の反映かもしれません。現実にはかよわい少女でも、人を魅了する精神的破壊力は強大。我々はいつだって、少女の威力に殴られっぱなしですからね。
そこに暴力があればいい。「シンシア ザ ミッション」(たまごまごごはん)
少女とエッチはできません。
触れてはならぬ禁断の果実だからこそ、ロリコン漫画は増える一方なのですが。
『ブラッドハーレーの馬車』の少女たちは、貧しい孤児院から、資産家ブラッドハーレー家へ向かう馬車に、養女として乗りこみます。ところが、馬車が辿り着くのは屋敷でなく、暗く高い塀の中……。養女というのは真っ赤な嘘。犯罪者たちの性欲・破壊欲のはけ口にされるため、少女は刑務所に連れて行かれるのです。
「少女を犯したい」欲望を、制度の中でコンスタントに満たすとしたら、どんな状況がある? ……そんな妄想を、最も丁寧に残酷に印したのが、この漫画。その惨たらしさ、残虐の極みったら、さすが沙村広明としかいいようがない。
人間の仕業とは思えない? まるで悪魔?
いえいえ、こんな残酷なこと、人間にしかできませんて。悪魔も仏も、人間の想像力に住む生き物ですから。少女を愛してる? おまえがやりたいのはこういうことだろ?
少女たちの夢と希望は丘の向こうに…「ブラッドハーレーの馬車」(たまごまごごはん)
『CYNTHIA THE MISSION』と同じ、戦う少女の物語です。拳でなく、銃を手にして。
といっても、痛快なガンアクション漫画でもありません。少女たちの背負う背景はあまりにも重く、暗い。
国中から集められた障害を持つ少女らに、「義体」という強力な機械の体を与え、「条件付け」と呼ばれる洗脳を施し、政府の為の汚れた仕事を請け負わせる。
彼女らは厳しい組織の中で、淡い恋心を糧に戦い続けます。
この悪趣味っぷりは極上です。
『ブラッドハーレー』のような残虐っぷりなら「このド変態!」と罵ればすみますが、こちらの少女は家族を殺され、暴行され、スナッフ・フィルムの餌食にされた上、その記憶を消す代わりに、義体とパートナーと第2の人生を与えられるのです。
洗脳された頭で「しあわせ」を感じながら、担当官のために銃を構えて。頬を染め、笑顔を見せる彼女らに癒される読者。なんと甘美な悪趣味でしょう!
(『最終兵器彼女』あたりの高橋しんっぽい悪趣味具合です)
見事なストーリー展開で、思わず切なくなったり、感動しちゃったするから、よけいタチが悪い。愛しいけれども憎たらしい作品です。
「ガンスリンガーガール」が「ガンスリンガーガイ」だったら僕はどう受け止めたのだろう。(たまごまごごはん)
「愛人(あいれん)」……終末期の患者の精神的な救済を目的とした、擬似的な配偶者、恋人のような役割をはたす人造遺伝子人間。
余命わずかと宣告された主人公のイクルは、激しい孤独と絶望と恐怖に苛まれ、市の福祉課に「愛人」の取得を申請します。そうして、イクルは愛人の「あい」と出会い、ふたりの生活がはじまります。滅亡に向かって進む、セックスすら失らわれた世界で。
絶望の淵にいる男子に、ひとりの人工少女が与えられるという物語は『電影少女』『A・Iが止まらない!』でもありましたね(3作とも「あい」がキーワードですね)。
誰にも愛されない自分を愛してくれる、夢のような少女! この出会いは奇跡? 運命? いえいえ、彼女はあなたを愛するよう作られた、機械ですから。
プログラムされた恋愛の中で、愛することの偉大さ、生きることの喜びを見出すのが『愛人 AI-REN』です。絶望的世界だけに、愛の存在は絶大です。
――以上、少女をテーマにした4つの青年漫画を見渡すと、ある真実が浮き上がってくるのがわかります。
少女はあなたを愛さない。
少女の儚さ、尊さ、偶像性は、あなたを愛さないことから発生しています。「あなた」とは、我々のこと。少女を描き、少女を読む者を指します。
ひとつめの『CYNTHIA THE MISSION』は、まず恋愛要素がほとんど出てきません。
恋愛する暇もなく、重い使命、拳闘の情熱を背負い、少女は生きています。この作品で最も乙女してるのは、高校生ボクサーのカルロスぐらいだしね。
異性に見向きもしてくれないから、我々は殴りあう彼女らを観戦するしかない。抉れる頬を、断たれる腕を、あげる断末魔を、陶然としながら見届けるしかないのです。
ふたつめの『ブラッドハーレーの馬車』は、少女と性交できない現実から生まれた妄想です。
それは法律で禁じられてる上、少女が望んですらいません。あなたとの性交を。
なので見向きもされない我々は、日夜、少女を犯す方法を妄想するのです。ありとあらゆる世界、手段、状況を拵えて。
少女に愛される妄想ならたやすくできますが、そんなものは生ぬるい。ファンタジーも甚だしい。厳密に少女と交わる世界を拵えようとすれば、残酷になるのは必至です。愛されないのだから、憎まれるしかない。しあわせにできないのだから、絶望を与えるしかない。
3つめの『GUNSLINGER GIRL』は、愛されない裏づけが顕著です。少女は余すところなく、「洗脳」されているのですから。
「国中から障害を持つ少女を集め、義体にして殺人をさせる」――フィクションですから、この程度の設定でも描くのに問題はなかったと思います。職務の中で、次第に担当官への恋が芽生える……なぜそうせずに、恋心を「洗脳」に変えたのか。
作者は「少女は簡単に恋が芽生えない」ことを知っていたのでしょう。その真実を避けることができなかった。そして少女は恋もなしに、銃を持たないということも……。
虐待された、かわいそうな少女たち。薬によって植えつけられた、自分への信望。
まっとうな恋愛ができる土壌じゃないこの設定も、読者には逆に甘い蜜となり、適度にハートを刺戟してくれます。まったく、よくできとる!
少女に愛されないことを知った我々は絶望し、また漫画の中の少女へ逃避します。生き生きと躍動する少女を、紙ごしに愛でる。作り物の少女、まるで末期患者に与えられる「愛人」のように……。
少女に好意を持たれることもなく、触れることもできないから、漫画の中の少女は輝きを増し、我々を没頭させるのです。作者も読者も、そのことをよくわかっている。
上記4作は、少女の真理をごまかして描いてないから、名作となっていると、アタシは考えます。
母となる体を持ちながら、純潔を守らされる少女。愛さない少女、愛されないアタシたち。……はぁ、なんという片想いでしょう。
これからも、漫画における少女像は威力を増し、信者を増やし続けることでしょう。
我々は紙ごしに追いかけるしかありませんね。現実で追いかけたら犯罪ですから。
オタク文化に眠る、完璧なる少女偶像にかしずくのだ。(たまごまごごはん)
この手はその少女に触れることが出来ないんだ。〜オタク世界の偶像少女達〜(たまごまごごはん)
……ご覧のとおり、この記事はたまごまごさんの少女論に大きく触発されてます。
ビバ少女崇拝!
少女の睫毛には、白い心が透けている『初恋ロケット』〜『いっしょにおふろ』
あまねくすべての男性は、上目使いの女子に弱い!
揺るぎないこの真理は、3次元・2次元を問いません。ンで、少女漫画界で今ブっちぎりに正面上目使いがウマイのが、タアモ先生です。
タアモの公式サイト『ラム』
「Betsucomi」を中心に活躍中の少女漫画家さんで、これまでに6冊の単行本が出ています。その描かれる女子の、かわいいこと、かわいいこと!

少女漫画の女子がかわいいのはあたりまえですが、タアモ少女の特徴は、男が見ても素直に愛でたくなる柔らかさ、清潔感を持っているところです。
この清潔感はどこからくるか? 簡素でハイライトの少ない黒目と、輪郭のみで描かれた睫毛が、タアモ少女の特徴です。少女の白い睫毛は、透明な精神と肉体をあらわしています。穢れのない心身を映す、穢れない瞳。事実、出てくる少女達は素直で優しい子ばかり。悪い子なんてひとりも出てこないのです。
可愛い女の子を描かせたら最高のタアモ先生について(犬の本棚)
今日は個人的お気に入り作品を、初期単行本4冊の中から紹介します。
●「夜汽車紀行」(『初恋ロケット』より)●
東京からやってきたイケメン駅員に、田舎少女が恋するお話。黒髪みつあみ、セーラー服、博多弁という、田舎コンボがたまらない! 恋の相手が駅員さんというのもおいしいですね。
あの制服と帽子の良さがわかるとは、目が高い。将来有望な鉄道制服フェチだわ。
「初恋ロケット」(作:タアモ)に流れる優しい空気・・・(マンガがあればいーのだ。)
●「少女のメランコリー」(『少女のメランコリー』より)●
女子高特有の、恋とも友情ともつかない感情と劣情、嫉妬。
それらをうまくまとめた読みきりが「少女のメランコリー」です。竹を割ったような性格の転校生、泉さんがカッコイイ! カッコイイ少女はタアモ漫画に珍しく、貴重なんです。泉さんに憧れる英子ちゃんは、気弱な性格がコンプレックスの少女。
タアモ作品の男性は、いい意味でも悪い意味でも絵に描いたような男性ばかりなので、少女同士の友情か恋愛をテーマにした方が、魅力が活きる気がします。
タアモ「少女のメランコリー」気持ちの距離(ひとりで勝手にマンガ夜話)
●「最終話 ぼくの手」(『あのことぼくのいえ』より)●
女の子がかわいいかわいいと絶叫してきたタアモ漫画ですが、この作品の姫は少女にあらず。連作『あのことぼくのいえ』のストーリーテラーである犬のカイくんのかわいさは絶大で、あまりにも破壊的です。
これまで動物漫画に萌えてこなかったアタシも、これにはイチコロ。つぶらな瞳が、伝えられない想いがキュートすぎる!
最終話の「ぼくの手」は、高校の寮で飼われているカイくんが主人公。散歩してくれる朝香ちゃんに恋するのですが、もちろんその想いは伝えられません。嗚呼、この歯がゆさ。感情が表情に出ないとろまで愛しいわ!
●「きらぼしのダンス」(『いっしょにおふろ』より)●
プラネタリウムで会ったクラスのイケメン安藤に、メル友の「アテナ」だと勘違いされてしまう陽菜。チャラ男な安藤が、アテナにだけ見せる弱い部分に、はじめは嫌っていた陽菜も次第に惹かれていき……という、よくある勘違い発展系のお話です。
ここでかわいいのは、イケメン安藤の照れ顔! すかしたイケメンが、たまに見せる照れ顔、恥じらいってのはポイント高いですよねー。
あっと驚く展開、重いテーマ、奇抜なアイデア――
そういうものは、タアモ作品にはありません。どれも、少女漫画として王道な設定、お話ばかりです。それもこれも、すべてタアモ絵を引き立てるため。キュートさに付随する添え物として存在するばかりなのです。
……そろそろ絵柄だけじゃなく、ストーリーに心奪われたいとも思うんですけどね。この絵で熱い連載がはじまったら、ぜったい話題になるはずだ!
セーラーエプロンに萌え死ぬ『我輩は嫁である。』、大正ロマンな『恋月夜のひめごと』も、キュートさがたまらない1巻完結作品集。タアモ少女とタアモ先生の成長には、今後要注目ですヨ!
揺るぎないこの真理は、3次元・2次元を問いません。ンで、少女漫画界で今ブっちぎりに正面上目使いがウマイのが、タアモ先生です。
タアモの公式サイト『ラム』
「Betsucomi」を中心に活躍中の少女漫画家さんで、これまでに6冊の単行本が出ています。その描かれる女子の、かわいいこと、かわいいこと!

少女漫画の女子がかわいいのはあたりまえですが、タアモ少女の特徴は、男が見ても素直に愛でたくなる柔らかさ、清潔感を持っているところです。
この清潔感はどこからくるか? 簡素でハイライトの少ない黒目と、輪郭のみで描かれた睫毛が、タアモ少女の特徴です。少女の白い睫毛は、透明な精神と肉体をあらわしています。穢れのない心身を映す、穢れない瞳。事実、出てくる少女達は素直で優しい子ばかり。悪い子なんてひとりも出てこないのです。
可愛い女の子を描かせたら最高のタアモ先生について(犬の本棚)
今日は個人的お気に入り作品を、初期単行本4冊の中から紹介します。
●「夜汽車紀行」(『初恋ロケット』より)●
東京からやってきたイケメン駅員に、田舎少女が恋するお話。黒髪みつあみ、セーラー服、博多弁という、田舎コンボがたまらない! 恋の相手が駅員さんというのもおいしいですね。
その瞬間 私の中で
何かが加速して 走る
あの制服と帽子の良さがわかるとは、目が高い。将来有望な鉄道制服フェチだわ。
「初恋ロケット」(作:タアモ)に流れる優しい空気・・・(マンガがあればいーのだ。)
女子高特有の、恋とも友情ともつかない感情と劣情、嫉妬。
それらをうまくまとめた読みきりが「少女のメランコリー」です。竹を割ったような性格の転校生、泉さんがカッコイイ! カッコイイ少女はタアモ漫画に珍しく、貴重なんです。泉さんに憧れる英子ちゃんは、気弱な性格がコンプレックスの少女。
私はまるで 恋に落ちるように
彼女のことが 気になっていた
タアモ作品の男性は、いい意味でも悪い意味でも絵に描いたような男性ばかりなので、少女同士の友情か恋愛をテーマにした方が、魅力が活きる気がします。
タアモ「少女のメランコリー」気持ちの距離(ひとりで勝手にマンガ夜話)
●「最終話 ぼくの手」(『あのことぼくのいえ』より)●
女の子がかわいいかわいいと絶叫してきたタアモ漫画ですが、この作品の姫は少女にあらず。連作『あのことぼくのいえ』のストーリーテラーである犬のカイくんのかわいさは絶大で、あまりにも破壊的です。
これまで動物漫画に萌えてこなかったアタシも、これにはイチコロ。つぶらな瞳が、伝えられない想いがキュートすぎる!
あのこの名前は 中田朝香ちゃん
ぼくの好きな人だ
ぼくは この寮に最初からいたわけではないんだ
ぼくは生まれた時 足が悪くて ちゃんと歩けなかった
ぼくの飼い主さんは そんなぼくがとっても嫌だったみたい
朝香ちゃんは
ぼくと一緒にお医者さんに行ったり リハビリをしてくれた
お医者さんは嫌だったけど
ぼく すごく幸せだったんだ だからがんばったよ
がんばったら ぼく
ちゃんと歩けるようになったんだ!
最終話の「ぼくの手」は、高校の寮で飼われているカイくんが主人公。散歩してくれる朝香ちゃんに恋するのですが、もちろんその想いは伝えられません。嗚呼、この歯がゆさ。感情が表情に出ないとろまで愛しいわ!
行かないで 行かないでよ
もしぼくが 言葉を話せたら すぐに君に伝えるのに
プラネタリウムで会ったクラスのイケメン安藤に、メル友の「アテナ」だと勘違いされてしまう陽菜。チャラ男な安藤が、アテナにだけ見せる弱い部分に、はじめは嫌っていた陽菜も次第に惹かれていき……という、よくある勘違い発展系のお話です。
ここでかわいいのは、イケメン安藤の照れ顔! すかしたイケメンが、たまに見せる照れ顔、恥じらいってのはポイント高いですよねー。
また だ
本当の安藤は すぐ赤くなるんだね
あっと驚く展開、重いテーマ、奇抜なアイデア――
そういうものは、タアモ作品にはありません。どれも、少女漫画として王道な設定、お話ばかりです。それもこれも、すべてタアモ絵を引き立てるため。キュートさに付随する添え物として存在するばかりなのです。
……そろそろ絵柄だけじゃなく、ストーリーに心奪われたいとも思うんですけどね。この絵で熱い連載がはじまったら、ぜったい話題になるはずだ!
セーラーエプロンに萌え死ぬ『我輩は嫁である。』、大正ロマンな『恋月夜のひめごと』も、キュートさがたまらない1巻完結作品集。タアモ少女とタアモ先生の成長には、今後要注目ですヨ!
腐女子の未来は早期教育で!〜キッズアニメによる801洗脳〜
801文化は、ファンの閉鎖性、背徳感が美学となり、繁栄をもたらせた面があると存じてます。
人間は、禁じられた遊戯ほど熱狂して堕ちる。長の年月、腐女子は罪の意識と周囲の迫害に苦しめられながら、己の情熱を作品や購買で昇華してきたのでした。
女性のオタク(はてな匿名ダイアリー)
腐女子がレスってみる(はてな匿名ダイアリー)
しかし、801の発生から20余年。内向に走り続けるのも、いかがなものでしょう。
ただでさえ少子化の進む現代日本です。ごく一部の熱狂的な女性のみに、ひとつの文化を支えさせては負担が重過ぎる。より多くの腐女子を、あるいは腐男子を投入しなければ。でないと、いずれ破綻してしまうのではないかという危惧に襲われるのです。
801作業に罪悪感をなくすのがいいとは思いません。それは程よい謙虚さ、原作への尊重にもつながっています。ただ、もちっと間口を広く。せめて同じオタクからのくだらない罵倒が消える程度には、801文化は認識されて欲しいなぁと思うんです。
(昨年は認識されたというより、ブームにされたという感じでしたし)
……男性オタクからの罵倒、腐女子同士のいさかいを見ては悲しんでいるときでした。とある作品の、素敵な801アプローチを目撃したのは。
今月スタートしたアニメ『Yes!プリキュア5GoGo!』。このED「手と手つないでハートもリンク!!」が、い〜具合にBLかもしてて素晴らしいんですよ!

前作『Yes!プリキュア5』から登場するココとナッツは、ファンの間でもカップリングで語られることが多い男性コンビです。
今作でもニコイチで登場しまくりなんですが、ふたりの親密度もさらにGoGo。EDから自重ナシ、からみまくリングなんですよ。あきらかに腐女子を狙ってるだろうと!
「これはうまい!」と感心したのは、「大胆」と「さり気なさ」。
EDにふたりのラブ絵が登場するのは一瞬です。しかし、サブリミナルのように何度も挿入されます。刹那の、けれど強烈な愛のポートレート。素晴らしい洗脳、宣教の手法ではありませんか!
(受けであるナッツが「程よく照れてる」のも重要です。受けが照れてないと、ただのツーショットになる可能性が強く、BL絵として成立しづらいのです)
この世には「ホモが嫌いな女子なんかいません!」との名言もありますが、実際は801好きの女子より、苦手な女子の方が多いのが現実。
801界の発展のためにも、その差は是非とも縮めたもらいたい。それには、幼少時からのBLとの上手い接し方が重要となるはずです。
今後1年間『Yes!プリキュア5GoGo!』を視聴する幼女は、やがてBL・801作品と出会ったとき、どのようなリアクションを起こすでしょうか。嫌悪? それとも覚醒?
……ココ×ナッツEDに慣れ親しんだ少女は、おそらくその文化を無碍に嫌わないでしょう。「ああ、あれか」と、冷静な精神で、己の趣味か否かを判断するのではないかと。もちろん、EDの時点で覚醒する幼女も生まれることでしょう。
この早期教育。ささやかなワンクッションが、腐女子人口を拡大させるに違いない!
キッズアニメでやってくれたことが、今回ありがたすぎるのですよ。嗚呼、BLサブリミナルよ。この手法は他アニメにもどんどん広まればいいと思いません?



……いや、まぁ。元から腐女子ファンのついてる作品は、ヘタにBLサービスされると逆に興醒めして離れたりするんですけどね。そのデリケートな加減が、ベタほど好まれる普通の恋愛漫画と違うところ、難しく悩ましいところなんですけど。
ああどうか、腐女子も腐女子でないオタクも、仲良くニコニコ過ごせる未来が来ますように。そンで公式のBL演出に、これからも身悶えさせてェ!
人間は、禁じられた遊戯ほど熱狂して堕ちる。長の年月、腐女子は罪の意識と周囲の迫害に苦しめられながら、己の情熱を作品や購買で昇華してきたのでした。
女性のオタク(はてな匿名ダイアリー)
腐女子がレスってみる(はてな匿名ダイアリー)
しかし、801の発生から20余年。内向に走り続けるのも、いかがなものでしょう。
ただでさえ少子化の進む現代日本です。ごく一部の熱狂的な女性のみに、ひとつの文化を支えさせては負担が重過ぎる。より多くの腐女子を、あるいは腐男子を投入しなければ。でないと、いずれ破綻してしまうのではないかという危惧に襲われるのです。
801作業に罪悪感をなくすのがいいとは思いません。それは程よい謙虚さ、原作への尊重にもつながっています。ただ、もちっと間口を広く。せめて同じオタクからのくだらない罵倒が消える程度には、801文化は認識されて欲しいなぁと思うんです。
(昨年は認識されたというより、ブームにされたという感じでしたし)
……男性オタクからの罵倒、腐女子同士のいさかいを見ては悲しんでいるときでした。とある作品の、素敵な801アプローチを目撃したのは。
今月スタートしたアニメ『Yes!プリキュア5GoGo!』。このED「手と手つないでハートもリンク!!」が、い〜具合にBLかもしてて素晴らしいんですよ!

前作『Yes!プリキュア5』から登場するココとナッツは、ファンの間でもカップリングで語られることが多い男性コンビです。
今作でもニコイチで登場しまくりなんですが、ふたりの親密度もさらにGoGo。EDから自重ナシ、からみまくリングなんですよ。あきらかに腐女子を狙ってるだろうと!
「これはうまい!」と感心したのは、「大胆」と「さり気なさ」。
EDにふたりのラブ絵が登場するのは一瞬です。しかし、サブリミナルのように何度も挿入されます。刹那の、けれど強烈な愛のポートレート。素晴らしい洗脳、宣教の手法ではありませんか!
(受けであるナッツが「程よく照れてる」のも重要です。受けが照れてないと、ただのツーショットになる可能性が強く、BL絵として成立しづらいのです)
この世には「ホモが嫌いな女子なんかいません!」との名言もありますが、実際は801好きの女子より、苦手な女子の方が多いのが現実。
801界の発展のためにも、その差は是非とも縮めたもらいたい。それには、幼少時からのBLとの上手い接し方が重要となるはずです。
今後1年間『Yes!プリキュア5GoGo!』を視聴する幼女は、やがてBL・801作品と出会ったとき、どのようなリアクションを起こすでしょうか。嫌悪? それとも覚醒?
……ココ×ナッツEDに慣れ親しんだ少女は、おそらくその文化を無碍に嫌わないでしょう。「ああ、あれか」と、冷静な精神で、己の趣味か否かを判断するのではないかと。もちろん、EDの時点で覚醒する幼女も生まれることでしょう。
この早期教育。ささやかなワンクッションが、腐女子人口を拡大させるに違いない!
キッズアニメでやってくれたことが、今回ありがたすぎるのですよ。嗚呼、BLサブリミナルよ。この手法は他アニメにもどんどん広まればいいと思いません?



……いや、まぁ。元から腐女子ファンのついてる作品は、ヘタにBLサービスされると逆に興醒めして離れたりするんですけどね。そのデリケートな加減が、ベタほど好まれる普通の恋愛漫画と違うところ、難しく悩ましいところなんですけど。
ああどうか、腐女子も腐女子でないオタクも、仲良くニコニコ過ごせる未来が来ますように。そンで公式のBL演出に、これからも身悶えさせてェ!
学ランの次は軍服でお願いします!『俗・さよなら絶望先生』
『俗・さよなら絶望先生』視てます。1期ほどではないですが、2期のOP「空想ルンバ」もバッチリきましたね。何といっても学ランですよ、学ラン。学帽ですよ!
ひそかに『ライチ☆光クラブ』な絶望先生を見たいと望んでいた女子は、多いと思います。絶望好きな女子なら、望んで当然の夢。しかし、まさかそれをド真ん中でやってくれるとは……。シャフト様には頭が下がりっぱなしです。
「俗・さよなら絶望先生」OPに見る躁の心とエログロナンセンス(たまごまごごはん)
ED「恋路ロマネスク」も、また超変化球で。九条キヨで来ると、誰が予想しましたか。少女系ド耽美な絶望先生と、絶望少女達。ああもう、アタシ達はすっかりシャフト様の手のひらの上。本当になんとお礼を申し上げればよいか皆目。絶望先生を更に更に好きになってしまいますよ。主に腐った方向で。
『ライチ☆光クラブ』と『ZONE-00』。これは間違いなく耽美趣向な女性ファンを狙った演出です。もともと女性読者の多い『絶望先生』ですが、さらに拍車をかけようって魂胆ですか。結構じゃありませんか。それならこっちも遠慮しません。とことんまで要求させていただきますよ。

学ランがOKなら、軍服もお願いしますよ!
というか、やるべきでしょ。和服・学生服・軍服の3つが揃って、大正ロマンの完成じゃありませんか。絶望先生に置けるフェチの真髄はそこでしょう。これは避けて通れない道ですよ(「ペリーで済ませた」なんていい訳は通用しません)。
5話からは、EDがROLLYの歌う「マリオネット」に変わり、爽やかなデフォルト絵に戻っています。CDのリリース情報どおりなら、絶望少女の歌う「オマモリ」というEDに、もう一度変わるはずなんですよ(「マリオネット」のCP曲です)。どんな歌か知りませんが、ここは是非とも軍服で。軍服でお願いしますと申し上げておきます。シャフト様、よろしく候。
……しかし、オーケンの次がROLLYとはね。オファーした人間の音楽遍歴が手に取るように見えるゼ。世代的にもストライクゾーンで、本当にありがとうございま(ry
《絶望先生オンリー》藤吉晴美さんを見て立派な腐女子になろう
ひそかに『ライチ☆光クラブ』な絶望先生を見たいと望んでいた女子は、多いと思います。絶望好きな女子なら、望んで当然の夢。しかし、まさかそれをド真ん中でやってくれるとは……。シャフト様には頭が下がりっぱなしです。
「俗・さよなら絶望先生」OPに見る躁の心とエログロナンセンス(たまごまごごはん)
ED「恋路ロマネスク」も、また超変化球で。九条キヨで来ると、誰が予想しましたか。少女系ド耽美な絶望先生と、絶望少女達。ああもう、アタシ達はすっかりシャフト様の手のひらの上。本当になんとお礼を申し上げればよいか皆目。絶望先生を更に更に好きになってしまいますよ。主に腐った方向で。
『ライチ☆光クラブ』と『ZONE-00』。これは間違いなく耽美趣向な女性ファンを狙った演出です。もともと女性読者の多い『絶望先生』ですが、さらに拍車をかけようって魂胆ですか。結構じゃありませんか。それならこっちも遠慮しません。とことんまで要求させていただきますよ。

学ランがOKなら、軍服もお願いしますよ!
というか、やるべきでしょ。和服・学生服・軍服の3つが揃って、大正ロマンの完成じゃありませんか。絶望先生に置けるフェチの真髄はそこでしょう。これは避けて通れない道ですよ(「ペリーで済ませた」なんていい訳は通用しません)。
5話からは、EDがROLLYの歌う「マリオネット」に変わり、爽やかなデフォルト絵に戻っています。CDのリリース情報どおりなら、絶望少女の歌う「オマモリ」というEDに、もう一度変わるはずなんですよ(「マリオネット」のCP曲です)。どんな歌か知りませんが、ここは是非とも軍服で。軍服でお願いしますと申し上げておきます。シャフト様、よろしく候。
……しかし、オーケンの次がROLLYとはね。オファーした人間の音楽遍歴が手に取るように見えるゼ。世代的にもストライクゾーンで、本当にありがとうございま(ry
《絶望先生オンリー》藤吉晴美さんを見て立派な腐女子になろう